7月3日~6日の4日間、学生会館小ホールにて劇団西一風夏季プロデュース公演『夢の中へ』が上演されました。原作は園子温監督の同名映画、チラシに掲載された膨大な文字数のイントロダクション、当初予定していた70分から90分へと延長された公演時間など公演前から異色の空気を放っていました。劇のあらすじは以下の通りです

あらすじ
売れない役者・鈴木ムツゴロウは恋人タエコと同棲しながら、別の劇団の女優ランコとも恋仲である。ある日、鈴木は小便時に痛みを覚える。性病の可能性に思い至り、ランコを問い詰めるも逆に怒りを買い、喧嘩別れをしてしまう。さらにタエコまでもが家を出て行ってしまう。そんな鈴木は、夢を見るようになる。ある時は佐藤という名のテロリスト、ある時は中村という名で取り調べを受けている。さらに夢に出てくる人物は現実の知り合いと被っている。現実では同窓会のために実家に帰ろうとするも、その電車の中でも謎の男女に絡まれる夢を見る。夢と現実が錯綜していく中で、謎の男に「お前のちんちんがすべて悪い」と告げられる。同窓会に出席するが、その途中タエコから電話がかかってきて、別れを切り出される。それを了承した鈴木はトイレで小便をし、その痛みに叫びながら道路をひたすら走っていく。

ストーリーは概ね映画どおりではあるものの、冒頭から映画にはない「宣言」が挿入され、「西一風の『夢の中へ』」が舞台上で表現されていました。夢の場面が映画よりも多く、中盤では映画には登場しない夢が現れ、夢と現実の錯綜が原作以上に強調された演出となっていました。性病など性にまつわる内容ではあるものの、役者の皆さんが体を張って奇をてらわずに演じていました。
今回の劇におけるこだわりは何なのか、演出を担当した岡本昌也さんにインタビューしました!

公演お疲れ様でした
お疲れ様です。ありがとうございます。
今公演で一番こだわりをもったところはどこですか?
そうですね。大人がやってる映画とか演劇を20代の僕らがやるってことで、一つの作品にした意味が出たらいいなと思ってやりました。僕らが作品を創ろうとしたときに、どう痛くならないかを、どう大人に見せるかってところを若い人たちは頑張っているんですけど、それだとやっぱり、劣化コピーにしかならないから、逆に青臭さを出していく感じで…(笑)。「若いうちにしかできないね」「若いね」と言われるような感じを目指しました。
「夢の中へ」を岡本さんが提案したのは、どうしてですか?
おちゃらけた理由と真面目な理由と一つずつあるんですけど(笑)。おちゃらけた理由としては、園子温を舞台化するとなって、代表作みたいなのを舞台化したら寒いなとか(笑)「夢の中へ」くらいがいいチョイスかな…ぐらいのアレです。
真面目な理由としては、単純にこの作品が園子温の中で一番おもしろかったっていう…。ストーリーとか特にないし、綺麗な画とかも出てこないし、長回しだしずっと、音も悪いし、すごいめちゃくちゃなんですけど、彼のちゃんとした倫理観が出てて、それにすごい共感した…単純にその、生きてることは複雑だっていうのを、そのまま言うってよりかは、全然意味のないシーンをずっと羅列して、この人は複雑なんだなって表してる表現方法に共感して、舞台化したい、やるならこれだな、ってなりました。
最初の、寺山修司の詩を読みながら「園子温だと聞いて見に来てくれた方ごめんなさい。これは僕の話です」と主人公が宣言する場面なんですが、役内の主人公としての台詞ではなく、岡本さんの台詞を代弁していると思うんですけど、あれはどんな意図で入れたのですか?
最初なかったんですよ。あのシーン追加したの本当に本番の一週間ちょい前の時で。最初は映画の面白さをどれだけ舞台上に出せるかというか、見世物のお芝居をやりたい、と思ってやってたんですよ。でもランコとタエコとの関係を見せたいとかそういう個人的な思いみたいなのがどんどん入っていって、最終的に本番ちょい前くらいの時に、できてる形が完全に僕の話で―いや僕から見れば。僕が不倫してたとかそういうわけじゃないですけど。僕から見たらすごい僕の話に見えて、もう言っちゃおうと思って。
最初に「これは僕の話です!」って
そうそう。園子温の話なんですよね、元々映画が。園子温が見た夢をもとに、作られた、みたいな。そういうの段々腹立ってきて。自分が作っていく中で、園子温要素をどんどん省いて行って、自分の要素をガンガン入れていったこの作品を、お客さんが見たときに、「うわー、園子温ってこういう人なんや」って思われるのが、すごく嫌だったんですよ
途中の夢が交錯する創作パートではランコが化粧をして出てきますが、あれはどのような意味合いを入れたのですか?
そもそもの話になるんですけど、この劇は映画とは自分の中ではテーマは変えてて、映画はどっちかっていうと、鈴木のアイデンティティと言うか、「俺は、誰だ」という方向性に行ってるイメージを受けたんですけど、僕はこの劇をやるのにあたって、ランコとタエコって女性が二人と鈴木の関係を表したくて、舞台ではかなりフィーチャーしました。えー、(化粧をした)理由は……ランコに振られて―女の人に振られて、その女の人を神格化する、男の人って…いやわかんないですけど、僕は、割と昔の女の人がずっと頭の中に残ってて…そういう、神格化されたイメージっていう形で化粧をしてるんです、あれは。
「ちんちん」のところの、主人公に絡む男を岡本さんが演じたのはなぜですか?
あのキャラクターは、役名を台本上では「俺」にしてて。鈴木の、例えばプライドであるとか、ルサンチマンであるとかを取っ払った、鈴木の本質を分かっている鈴木、みたいな立ち位置にしようと思って。鈴木の悩みの原因というか、人生がうまくいかない理由を宣告しにやってきた奴、みたいなそういう意味合いでやったんで。で、僕はこの劇で鈴木に自己投影をしてたから、やるのなら、この役かなって(笑)。だから、「俺」の台詞を言ってたら、本当に自分で自分に言ってる気分になってきて、舞台上でちょっとトランス状態でした(笑)。
今回の舞台で、自分の中での目標は何でしたか?
一番おっきいのは、やっぱりこの作品を出して、お客さんはどう思うのかっていうのは知りたくて。「ずっと俺でーす」っていう劇観て、お客さんはどう思うのかっていうのを、試してみたくて、まずそれが目標でしたね。アンケートとかもらうんですけど、すごい自分の哲学とかをバーッて書いてくれた人とか、凄い怒ってる人とか―内容に対して―お前はもっと苦しまなければならないだろうみたいな、そういう怒ってる人とか、やっぱりそういう劇の技術的な面じゃなくて、内容に対して、共感してくれたりであるとか、怒ってくれたりであるとか、何か泣いてくれてた人もいて、すごい嬉しかったですね。
最後に、お客さんやこの記事の読者に一言お願いします
劇を見に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。お客さんあっての演劇なんで、お客さんが観に来て初めて作品になるから、それまではまだ作品じゃないので、「ありがとうございます」という感じです。本当にありがとうございます、お客さん。はい。

次回の劇団西一風の公演は、明日8月30日から始まる京都学生演劇祭2014になります。演目は『いちごパンツを撃鉄に』。脚本・演出は『夢の中へ』に続いて岡本昌也さんです。興味を持った方は、是非劇場に足を運んでみてください。

文:矢澤達也

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